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ワインで地鎮祭

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 やっと!みなさまに晴れてご報告できる日が来ましたのでお知らせしちゃいます★
 来春より料理教室を移転します。といっても現在の場所から約300メートルほど(笑。
今まで左折していたところを右折してください。
だけど、今、右折していただいても会場は更地で何もありませんので御注意を!!

 実は、新築の一戸建てを建築予定なのです。この話、私がイタリアにいく直前に持ち上がり、
おおざっぱに決めたまま私がイタリアに旅立つといつもグータラなえなりくんが1人で頑張って土地取得とかローンの手続きとか、家の図面とかいっぱい頑張ってくれてたので新婚旅行あけにも関わらず、無事おうちも着工できる見込みとなりました。
 帰国した次の日から、マイホームの書類手続きやら打ち合わせやらかなりいろいろあって、今回の11月の復習レッスンの時間があまり取れなかったのです。ゴメンナサイ!
 昨日は、晴れて地主(笑)となった土地で地鎮祭をしてきました。といっても神主さんを呼ぶわけでもなく、とりあえず塩とお神酒だけもって行こうということになり、
「お神酒の日本酒って余っても飲めないよね?」(2人とも日本酒がダメ)
「じゃあ、ワインでいいんじゃない?アルコールだし。」
「それじゃ、塩もさ、○多の塩じゃなくて、イタリアのいつもの塩でいいよね?」
ということで、ワインと塩は洋物をもって地鎮祭へ。
(いいのか、こんなんで?)

仕事柄、地鎮祭馴れしているエナリクンの主導の下怪しげな儀式が始まり、ちょっと穴を掘って、お塩まいて、ワインをどぼどぼ・・・・・、そのあと、一口だけお神酒(つうか、ワイン・・・)をくいっと呑んでおしまい。あ、あと「神様~!いい家建ちますように~!」と困ったときの神頼みも。
早朝の小雨がふるなか、さぞかし私たち不審人物だったはず。自転車にのったオバチャンが
怪訝そうにみてました・・・・・。
 
 残ったお神酒はしっかりと夕飯の際にいただきました。神様、きっと洋酒は初めてだったに違いない、おいしかったかな?地鎮祭のあとは、復習レッスン2回。お久しぶりの顔ぶれで話がもりあがる、盛り上がる。やっぱ、料理教室楽しい。

 料理教室が終わるとエナリクンがお迎えにきて、家の打ち合わせへ。カナダの輸入住宅を建てるため、発注がせまっているということで、延々と図面をみせられ、よくわかんないチェックをいっぱいさせられました。(疲れた)
仕事モードのえなりくんはかなり真面目なので、「ここはお任せでいいよ~」と甘えたことをいうと
「お前の家だろっ!ちゃんと決めろ!」といってマジ怒り。怖いです(T_T)
おかげさまで、かわいいおうちになりそうですよ。料理教室も今より広くてカワイイキッチンで出来ることになるので、皆様お楽しみに。

スパルタ的な打ち合わせの後のお楽しみはなんといっても、家具選び♡
毎週のように時間を見つけては家具屋へ足をのばして、いろいろ物色。料理教室のことを考えてとりあえず、キッチン関係の家具だけは気合を入れて探してます。
今日もキッチン周りに置く棚をオーダーメイドしてしまいました。はじめて行ったお店なのですが
素材の質感がとてもよくてすっかり気に入ってしまい、即、御契約。
油断してノーメイクで出かけてしまったら、記念のお写真を撮っていただいちゃいました。
一応、引き気味で撮っていただいた写真はこちら。御担当の渡邉さん水野さん、ありがとうございました。
シャルドネ・郡山店

しばらくはイタリア旅行の思い出日記とアタシンチの進捗状況の日記になりそう。
でも、12月レッスンの準備もこつこつやってますので御安心を。
明日、お料理の写真をUPいたしますね。
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by buonaforchetta | 2006-11-30 00:33 | アタシンチ日記

イタリアで結婚式3  結婚式のスタイルは?

 イタリアに行く前にちょこっと書いていた結婚式の準備編。あと何回かお付き合いしていただいた後に、イタリア新婚旅行編をお送りします★


教会で挙式

教会で結婚式!なんて、憧れてはいたけどれも、前々からのエナリサーチによると「ボクはキリスト教徒じゃない!」というがんとした主張をもっており、教会で式は無理だろう・・・と判断する。たしかにさ、イタリアでキリスト教っていったら、カトリックのお膝元。そんなところでにわか信者になるには、私も小心者なので出来無そう。
と言うわけで却下。

ヴィラで結婚式

中世のお城などを改装した場所での挙式。これもまあ、カトリック方式でやるんだけども、そんなに教会教会していないかんじ。
しかし、お城挙式は値段が高いし、お城といっても田舎の山奥っぽいので、もっとマチでやりたいなぁと思い却下。

リーガルウェディング

法的手続きに則った挙式。なんのこっちゃ?
簡単にいうとこんな感じ。

イタリアの市役所で挙式をすると、挙式をした日が、日本でも正式な「入籍日」として戸籍上にのり、更に「イタリア国方式で入籍」と一筆も入るのです。

まず、「身元(国籍)がはっきりしていて、結婚する能力があり、かつ未婚であること。」を日本の公的機関に書類で証明してもらいます。

○身元→戸籍謄本(役所で)
○未婚確認→婚姻用件具備証明書(法務局で)

といった具合に書類を作成。それらの書類を外務省やらイタリア大使館で承認をしてもらって
国際的に有効な公式文書にするのです。(イタリア人は日本語が読めないので翻訳するのも必要。)
手続きはめんどうだけど、記念にもなるし、宗教ぽくないからいいんじゃない?ということで
リーガルウェディングに決定!
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by buonaforchetta | 2006-11-28 19:07 | イタリアで結婚式

イタリア料理留学記10 ロレーナのレッスン

ナポリを離れて再びローマへ戻る。
ローマも相変わらず猥雑な雰囲気がある町だけれど、ナポリと比べるととっても近代的で町がきれいに見えてしまうのはナポリ病でしょうか。
なによりも、女の人がみんな細く見えるのにびっくり。ナポリっ子、老いも若きもおなかにたっぷりの脂肪をたくわえてゆらゆらゆれている(しかもチビTきておなか丸出し)のにみなれちゃったので、すこしぐらいのぽっちゃりさんでも私からみれば十分スマート。
やっぱりナポリは異次元だったようだ。
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私一人のお料理の勉強もいよいよ終盤。あと5日後には、えなりくんたちがやってきて結婚式をやったり新婚旅行をしたりすることになる。それはそれで楽しみだけど、一人イタリアが終わりかと思うとちょっとさみしい。それに、独身最後でもあるしね。
 ローマのちょっと郊外の住宅地のB&Bにステイしながら女性ソムリエのロレーナにお料理を習うのが今回の〆。ロレーナは日本の旅行雑誌にもよくのっているので、B&B(というか彼女の家)につくと今まで何十人と受け入れてきた日本人客のお土産で日本の気配がありありだった。




日本人がよくステイするところには彼らの置き土産で日本の小説がおいてあることが多い。
普段、小説はえり好みをして読む私だけども、旅先で出会った日本語の本は何かのご縁かと
おもって手にとって読むことにしている。日本を離れて、毎日イタリア語尽くし(旅の終盤にさしかかると一人言もイタリア語がでてくる・・・)の日々を送っていると久々にみる日本語の活字は新鮮で、文章もみずみずしくかんじる。そんなわけで、観光にも疲れた私はレッスンや近郊のエクスカーションにつれていってもらう以外は部屋で読書三昧だった。たまにはこういうのもいいんだってば。


 一人娘のエレナには日本のアニメグッズをプレゼント。イタリアでも日本アニメは大人気。TVでは「らんま1/2」はいつでも放送されているし、なぜかつり吉三平とかいなかっぺ大将とか、日本人の私でも見たことが無いアニメが放送されてます。イタリア人に今の日本がこんな感じかと思われていたらやだなあ。

 ロレーナのレッスンは夕方から始まるのだけれど、かならずロレーナのマンマがお手伝いに来る。レッスンの途中でエレナのお迎えに行かなきゃいけないことがあるので、そういう時はマンマがレッスンを交代して教えてくれるのだった。しかし、困ることに毎回この二人は対立する。ロレーナがパスタのソースにハーブを入れようとすると「あなた、そんなの入れたら風味がだいなしよ!」とマンマが口を出す。
マンマはオリーブオイル控えめがモットーなので、どぼどぼオイルを入れようとするロレーナに苦言を呈したり。たまにお互い一歩も譲らず、えらく険悪なムードが漂うことがある。そういう時は、世渡り上手な私はイタリア語が急に分からなくなるので、私に加勢を求めてくる両者を見てもなんのことか分からないフリ。
 ただし、相手があっちをむいている隙に「私の言っていることが正しいでしょう!」といわんばかりにアイコンタクトを送ってくるときには必死でうなずくというフォローをお忘れなく。
一品作るたびにこんな感じだったので、すっかり慣れっこになってしまったが、毎回ケンカするってわかっているならマンマを呼ばなきゃいいのになぁ、と私は思う。ゲストが困っているのもそっちのけで親子ゲンカを繰り広げるのも、やっぱりここはイタリアね。
 
そんなロレーナの料理は、ロレーナ流というか、バリバリアレンジがはいったイタリア料理。
ナポリより北上してきたので、料理に牛乳・生クリームを使う回数がぐっと増えて、お土地柄がでている。ソムリエということもあるので、ワインに因んだお料理やお菓子もあってこれはなかなか興味深かった。季節柄、ハロウィンのかぼちゃランプを作る関係でやけにかぼちゃを使ったメニューが多かったな(^^;)
できたかぼちゃのランプはエレナのハロウィンパーティに大活躍したことでしょう。
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 ロレーナのマンマもお料理上手で、そしてとても研究熱心。「ノンナ(おばあちゃん)の料理」というぶあつい本貸してくれて「50年前の料理と今の料理は名前が一緒でもぜんぜん違うのよ」と教えてくれる。トマトソースにたっぷりのパンチェッタとペコリーノが入っているアマトリチャーナも一昔前はどちらかというとトマトがかなり少なくて、白っぽいパスタ料理だったようだ。
マンマのレッスンだけを受けたお友達がいて、彼女の話によるとマンマの料理、かなり美味しいらしい。今度はぜひ、マンマにもローマ料理を習ってみたいものだと思う。次はローマを攻略したいところ。
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 日本に帰ってきてからも私がはまっているお菓子がこれ。白ワインで練ったクッキーでロレーナに習ったもの。自分でいうのもなんだけど、ロレーナと同じくらい上手に焼けるのよ、私。
やみつきになるお味で、レシピを人に教えるのはもったいない!くらいのお気に入りなんですが、そこはイタリア料理教室の先生の使命、来年のレッスンでご紹介しますのでご安心くださいね。

********

 そんなこんなで私の料理留学記はひとまず終了。新婚旅行の時に隠れレッスンを仕込んだので、それは次回からの
新婚旅行編でご紹介。まだまだイタリアネタは続くのだ。
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by buonaforchetta | 2006-11-26 15:54 | 2006年イタリア滞在記

イタリア料理留学記9 ナポリシステム


ピーノとテレサのレッスンは、毎回テーマがきまっていて「肉がベースの料理」「野菜がベースの料理」
「日曜日のごはん」「友人を招いて」など、シチュエーションごとのメニュー構成がくまれていた。
イタリアの強行突破でよくあるのが、肉を煮込んだソースでパスタを和えて一皿とするウラ技。
これであっというまに2品完成となる仕組みをここの料理教室でも活用していた。おいおい、もう一品、作らなきゃ割りにあわないでしょ!!とはいっても、これが普通の感覚なのかな、とおもわなければいけないのかな。
実際、肉が煮えた後でも、肉だけを取り出してソースだけを何時間も煮込んで別の料理の材料として使うなんていうケースもあるので、やっぱりこれが正統派なのか。
 また、ここ教室では、レッスンの前に作業台にすでに今日の材料が全部用意されている。フリーレッスンを組んでもらうと、当日までメニューが分からないので、この台の上の食材で「ああ、今日はこんな感じか。」と初めてレッスンの内容を知ることができる。たまに材料がたいしたことの無いものばかりだったので「今日ははずれか・・・。」とレッスン前に勝手に出来上がり料理を想像してがっかりしたことがあったけれど、何気ない素材でおいしくてやみつきになる料理に大変身してしまったりと、いろんな意味で驚かされる料理を何種類も習った。ナポリ料理の中には「社会の最下層の人々」が裕福な人々が食べない食材(部材)や少しの余りものを使って編み出したものも今でもしっかり伝統として受け継がれているので、たまにこんなサプライズもあったりして、なかなか毎回目がはなせないレッスンだった。
 しかしながら、毎回きちんと計量された材料が準備されていると、私みたいな不良生徒のつまみ食いチャンスが限られてしまう。そこで、私はここのレッスンに慣れるに従って、つまみ食いより盗み食いが得意な生徒に早変わりしたのだった。素材自体の味を知ることが大事だ、ということが前提での盗み食いであることを何回もここで強調させていただきますケド、決して私がBuonaForchetta(食いしん坊)だからだとかそいいうことじゃないのよ。
 
 料理教室のメンバーは私とスイス人のおじさん(夏季休暇を利用してイタリア満喫中)を除いては毎回入れ替わり。
たまに私と同じアパルタメントのルームメイトのアメリカ人のトーマスが遊びにきたりと、雰囲気が毎回異なっていた。このトーマス、アパルタメントの共用ダイニングではいつもドラマのERみたいな医療用の服を着ていて最初はいぶかしく思ったが、彼はアメリカの病院で医療スタッフをやっているとのことで納得がいった。(その服でリラックスできるのかは謎)
そんな彼はイタリア語がとても上手で、一句一句丁寧に言葉を選んでしゃべるかんじがとてもインテリにみえて好きだったのだけど、一度、アメリカ人同士でアメリカンイングリッシュでまくしたててしゃべっているのをみるとアメリカ人!って感じでちょっとなぁ、残念。

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(マナとトーマスのクッキングショー!みたいなかんじの写真映り)

 それでも優しいトーマスがいると、料理教室が終わって夜9時~10時くらいにフニコラーレに乗ってアパルタメントに帰るのもそんなに怖くはなかったのだけど、さすがに一人の時はフニコラーレの駅からが怖かった。悪名高いナポリに慣れてきたからとはいえ、夜の女の一人歩き、危険!駅5分程度の私の部屋まではいつも小走りか競歩で帰るのは当然だった。みしらぬイタリア人カップルの後ろをくっついて歩くのも安全対策にはよかった。5秒おきに後ろを振り返り不審人物チェックも欠かさない。それでも不安なときは「オラは死んじまっただ~」を大声で歌うのが効果的だったかと。不審人物も変な人間には近寄ってきませんから。
安全対策にオススメしますよん。

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(夜の駅はひっそり)

 たまに困ったのがフニコラーレの終電の時間だった。月曜と火曜は10時が終電とのことで通常より2時間も早い。なんでも、土日に遊びすぎて疲れたナポレターノは月曜と火曜は仕事でぐったりしているので、誰も夜までうろつく元気がないから、乗客も少ないので終電も早いというのが理由らしい。確かに、土日は深夜まで若者が徘徊して馬鹿騒ぎをしている広場も月曜日にはひっそりと静まり返っている。そんな静かな日はやっぱり帰るのが
ちょっと怖い。
日本では言い訳にもならないような理由で電車の終電が決まってしまうそんなシステム、ここではアリ。
その他にも地元ルールがたくさんあって、へんてこなナポリシステムに泣き笑いした3週間でした。
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(おいしくて思わず踊っちゃう:ナポリの人気パスティッチェラ<お菓子やサン>の前で)
 
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by buonaforchetta | 2006-11-25 00:52 | 2006年イタリア滞在記

イタリア料理留学記8 ピーノ&テレサのレッスン

 ナポリで毎日ぷらぷらしていた私ですが、夜は毎日料理レッスンへいきました。場所は、ナポリのやや高級住宅地のヴォメロ地区。ナポリを一望できる丘の上にあり、そこまではフニコラーレ(ケーブルカー)で登っていく。ケーブルカーというと。風光明媚な景色が楽しめる乗り物であるイメージがあるけれど、ナポリのフニコラーレはケーブルカーの地下鉄版。真っ暗で何も見えません!バスだとグネグネ道を登っていかなきゃいけないし、そういう意味ではこのフニコラーレは直線で山の頂上まで一気に上がっていくので便利。

 そんなフニコラーレの終点にある料理教室はこんな感じ。とってもかわいくて、機能性もばっちりのキッチン。
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教えてくれたのはピーノ&テレサ夫妻。
ピーノは建築家(キッチンの設計は彼のもの)でプレゼピオ作家で「料理はボクの第2の情熱だ!」と豪語するナポリを愛するナポリ人だった。(プレゼピオとは、キリスト降誕の様子を、民衆の生活に織り交ぜて表現したジオラマのこと。彼の作品をみせてもらったがとても精巧なものだった。)ナポリ弁を伝承するための学校を設立中で、ピアノもギターも弾けちゃうという、要はマルチ人間。背が低くて白髪でつばをとばしながらぜんまい人形みたいにしゃべる人だった。そして名前がピノって・・・・・。(本名はあるんだけど、日常生活はこれで通しているらしい)
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イタリアのキッチンは作業台の位置が高いので、この背の低いピノが大人数用のデカ鍋を背伸びしながらかき混ぜている姿は白雪姫の7人の小人が炊き出しをしている姿のようで、たまにその不思議な光景をぼーっとみてしまうと時があった。

f0023069_0262085.jpg 奥さんのテレサも生粋のナポリ人だったが、とても冷静沈着な人で大声でおしゃべりしたり、いきなり歌いだしたりすることはない人だった(笑。テーブルウェアが大好きなようで毎日のレッスンはお料理にあわせてテーブルクロス、ナプキン、お皿を選んでセッティングしてくれるのが楽しみだった。お皿をいったい何枚持っているのだろうというくらい種類が豊富だった。



さて、こんなご夫妻のレッスンは「生粋のナポリ料理」。変人ピーノは常に「クラッシックな調理法」にやけにこだわる人だったので、昔ながらのナポリ料理を知ることができた。ナポリ料理入門編というか、ナポリ料理の王道レシピが勢ぞろいだったので、今回の私のナポリ滞在の目的は果たされた感があった。
 たまに、とっても奇抜というか、肩透かしな料理もでてきたのだけど、たいていこういうのは変人ピーノが「ナポリ国立図書館の古書から拾ったレシピ」とかなのだ。とりあえず、古いナポリ料理にこだわるので、外す時はひどかった。今の味覚とちょっとちがうのね。

とはいっても、ナポリ料理のルーツは紀元前にまで遡れるので、ちょっと古い文献からひろったレシピどころのはなしではないのがナポリ料理。
古代ギリシャ人がナポリに住んでいたころの料理の名残がいまでものこっていたり、はたまた、フランス・スペイン王朝支配下にあった時代の料理が根付いていたりと、一口にナポリ料理とはいってもさまざまなのだ。料理自体がナポリの年表とでもいおうか。
料理のひとつひとつにエピソードがあるのも興味深い。

 変人ピーノのナポリ熱はたいそうなもので、ちょっとでも「昔ながらじゃない」料理を見かけたり、食べたりした話をすると「こんなのナポリ料理じゃない!!」と、小さい体全身を震わせて
ぴいぴい文句を言ってくるのでたまらなかった。 
多分、彼とマリーサは性格的に正反対なので、変人ピーノがマリーサのちょっと今風アレンジ料理を知ったら、これまた憤慨するのだろうし、逆にマリーサがこの融通が利かないステレオタイプ人間にあったら、表情にこそ出さないけど心の中では「こんな化石みたいなレシピより私の料理のほうがおいしいんだから!」て思うんだろうなあと想像した。

100人いたら100通りのお料理があるものです。けれども、世渡り上手な私はそんなことはいわないで、イタリア人がよろこぶ魔法の言葉を知っていて「ここの料理が一番おいしい!」と言えば、すべて丸く収まるのだった。イタリア人相手ってけっこうたいへんなのよ。

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by buonaforchetta | 2006-11-22 08:51 | 2006年イタリア滞在記

12月の料理教室について

 本日、生徒の皆様に12月レッスンのお知らせをお送りいたしました。
一部届いてないとのご連絡がありましたので、このブログを拝見された方でメールが届いていないという方はお手数ですが御連絡ください。
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by buonaforchetta | 2006-11-21 22:58 | 料理教室日記

イタリア料理留学記7 最高の言い訳

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ナポリ生活3週間のうち、2週間は語学学校付属の料理教室に通うことになっていたので、学校で斡旋してくれたアパートへ引越し。しかも、マリーサ家から徒歩2分と激近で、優良物件(笑)。
 語学学校付きの料理レッスンなので、学校の初日には語学のレベル分のテストを受けなければならなかった。今回のイタリア滞在、1年以上ブランクがあったうえにたいして日本でも勉強もしていなかったと言うのに、自分で言うのもなんだけど、恐ろしいほどペラペラしゃべって、かなりの確率でリスニングもバッチリと、私のイタリア語学力はやけに冴えていた。ので、試験もイイ線いくかなーと思ったけど、やっぱりペーパーテストはごまかせず、さんざんな成績で私が入れられたのは下から2~3番目のクラスだった。
 口頭テストはまあ、調子よくペラペラしゃべったのでイイ線いったかも、と思ったのだけども「あなたのお得意料理は?」という質問にうかつにも「ボローニャ風ラザニア」と答えてしまって、試験官のナポレターナのご機嫌を損ねてしまったのは大失敗だった。ライスコロッケとかそのあたりを言えば良かったのか。これからお得意料理にするために今回ナポリにきているんだから、無理言わないでよ。

試験の成績悪かったからか、先生の機嫌を損ねたのが悪いのか、そんなこんなで入れられたクラスはやっぱり授業が簡単すぎた。
フリートークの時間は、となりの席の生徒に「過去形の活用はねぇー」とか、教えるハメになり、初日で語学レッスンに飽きてしまった。「もうちょっと上のクラスに変えてください!」と教務課にいえばいいんだろうけど、試験最悪なくせになにいってんだよって感じだしなぁ、なんてイロイロ考えているうちに、語学学校にいくのがめんどくさくなってしまい、初日に顔を出したっきりで、翌日から語学のレッスンは止めてしまった。

 もともと、料理レッスンだけで申し込むより語学とセットの方が授業料が安いという理由で語学もつけたので、通わなくてもいいかなという気は最初からあったのだけども。しかし、学校をサボって、街をブラブラするなんて一体何年ぶりだろう。大学の講義を休むのは別にドキドキしなかったら、このちょっと「私って今日、不良かも!」という気持ちは高校生以来。あれから10年経っちゃって、しかも場所はイタリアだけど、やっぱ学校サボるのってドキドキする★
 そんな妙な高揚感でナポリの町を1人でそぞろ歩きをする。マリーサ家にいるときは必ず誰かと一緒に外出するのがほとんどだったので、1人でナポリを散策するのはとっても新鮮だった。
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 車にひかれないように道路を命からがらで渡り終えたと思ったら、ひょこっとでてきた原チャにかすりそうになる。安全な歩道にたどり着いたと思えば、よぼよぼのじいさんに「チャオ、ベッラ(よお、べっぴんさん。)」とウィンクをされる。海はきれいで、空気は排ガスで汚い。
 こんなあべこべな素敵なものと汚いものがごちゃごちゃ同居するナポリにいられるのは私の人生の中ではほんの一瞬なんだと思った。これからイタリアに定住するわけではないのだから、今更語学を必死でやっても意味が無い、それならこのナポリを味わいつくそうと決めた。

そんなわけで「なんで学校いかないの?」と聞かれることが多々あったのだけど、そういうときは遠い目をして「イタリア語を勉強したいと思ったら日本でも勉強できるけど、日本でナポリの海を見たいと思ってもそれはかなわないのだから、だれも私を学校に行かないこと責めることはできないのよ」といってやるのだった。
たいがいのナポリ人は「manaの言うとおりだね」といって認めてくれたものだった。

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というわけで、ナポリで一番美味しいピッツェリアの「ミケーレ」で40分待ちをしてから絶品ピッツァを味わったり、ナポリ名物の揚げ物(ライスコロッケや、揚げピッツァ、揚げグラタンetc・・・)をほおばりながら。洗濯物がはためく下町を散策したり、毎日毎日ナポリをしっかり楽しんだ。
 ナポリで一番高級なカフェ「ガンブリヌス」でカッフェ・ノチョラータ(ヘーゼルナッツチョコ入りのエスプレッソ)を引っ掛けてから夕暮れのライトアップされた街をうろうろしたり。

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 ナポリとは歩けば歩くほど深みにはまる街で、最初はサイフをすられやしないか、ひやひやドキドキして歩いた街も、3週間もいるとすっかりなじみの景色になっていくのがうれしかった。
 
 
 
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by buonaforchetta | 2006-11-16 23:49 | 2006年イタリア滞在記

イタリア料理留学記6 マリーサのレッスン

 
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ナポリで始まったガチンコ生活。美味しいお魚のランチを食べて一休みしたら、夕方からはケータリングのお手伝いが待っていた。なんでも、翌日に30人分のランチのケータリングをこなさなければならないらしい。その、ケータリングのメニューに私が前もってリクエストしておいたナポリ料理の最高峰「サルトゥ・ディ・リーゾ」が盛り込まれているというのでガゼンやる気が出てくる。この料理は具を5種類ほどつめたリゾットで作るケーキといえばわかりやすいかな、とりあえず、ふつうにしていたらまず、作らない料理。手間もヒマもお金もかかる料理なので、このケータリングが無かったら作ってもらえなかったかもしれないのでラッキーだった。

 前日から仕込みをはじめて、翌日も朝から大忙し。なのに、マリーサにはひっきりなしに電話がかかってくるので(しかも長電話)、単純作業系は私がひとりでだいぶこなしたと思う。じゃがいもの皮むき2キロ分とか。ケータリング用のサルトゥのほかに、私用の小さいサルトゥもつくって、それから30人分のパスタ料理に、ナポリ風の揚げ物をフライヤーで延々1時間以上揚げ続け・・・・。(このマリーサ秘伝の揚げ衣がほんとにウマイ!)

 おかげで、ケータリングは好評のうちに終わり、お客さんにも「ブラバ!(すごいぞ)」と誉めてもらった。一息ついて、マリーサ家のリビングでくつろいでいると玄関の呼び鈴が鳴った。私がでると、近所のバールのお兄ちゃんがカッフェの出前を持ってきている。「頼んでないよ」というと
「○○さんからです。お代はいりません」とのこと。ケータリングのお礼に、依頼主がおいしいカッフェを届けてくれたのだった。憎いことするじゃないの!!この気のきいた取り計らいに私はすっかり御満悦だった。

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 嵐のようなケータリングは滞在中、1回だけだったので、あとはのんびりレッスン。時には3時間かけて魚屋に買い物に出かけたりする。ここですごいなとおもうのが、マリーサの目利き。ナポリに山ほどある魚屋をそれぞれ使い分けていて、一目見てどれがウマイか見分けて買い物をする。魚を数種類買うにしても1軒で済ませることはしないで、数軒をはしごして買い物していくのだ。「おいしくないものなんて食べたくないじゃない。お金かかるけど」というのがマリーサの口ぐせだった。一度は、カジキマグロのオーブン焼きを作るのに買い物に出かけたことがあったが、魚屋がカジキマグロを薄く切れないというのを理由に買い物をやめてしまったことがあった。「もっとウデのいい魚屋で切ってもらって作りましょう」といって、そのメニューは延期になってしまった。後日、とってもうすくきってくれる魚屋に出会えたので私はその料理を口にすることができたのだけれど、ほんと、こういうことの一つ一つにこだわりが見え隠れしていて、マリーサってすごいなあと思う。

 彼女は日本人向けのイタリア料理学校のナポリ料理の担当でこの道のベテラン先生なので、その先生に一日中「料理教えて~!」とくっついて回れたのはほんとに幸せだった。
「ナポリの料理教室付きホームステイ」を申し込んだ時点では、まさか、そのステイ先がこのマリーサだとは思わなかったので、分かった時はそれはそれはうれしくて仕方なかった。

 先ほどから魚料理ばかり誉めていたけど、他の肉・パスタなんかも断然美味しかった。肉料理はパンチが効いていたし、野菜でつくるパスタは優しい味がして、それぞれメリハリがあってまず、食べることにおいては絶対裏切られることは無かった。マリーサの家でのステイが終わってからも、ナポリに残留していた私は、晩ごはんを狙って時たま遊びにいったりして、ちょこちょことマリーサにレシピを聞き出したりしていた。
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 マリーサの豪華料理をねらうならなんといっても日曜日。近所に住む、マリーサの長女のアマリア夫婦が訪ねてくるから、ウデによりをかけてお料理するのだ。午前中は魚屋に買出しにいって、たっぷりのランチを作る。水牛のモッツァレラチーズで有名なガゼルタ直送のでっかいモッツァレラが出てきたり、愛する家族が集うお食事はなんともリッチ。ちょうど、アマリアのお誕生日の時期に日曜日があたったので、ある日はお誕生日パーティーを開いた。
「アウグーリー、アー、テー♪アウグーリー、アー、テー♪タンテ・アウグーリ・ア・アマリア♪アウグーリー、アーーー、テーーーー」とハッピー・バースーデー・トゥー・ユーの曲にあわせてみんなで大合唱。しかもエンドレス(^^;)ケーキのろうそく全部溶けちゃうよ~というまで、えんえん歌ったり写真をとったりそれはもうにぎやか!!ぜひ、イタリアで誕生日を迎えてみたいものだと思ってしまう。しかしながら、カロリーが気になるのは古今東西どこもいっしょ。やっとのことでローソクをけしたケーキはバターと砂糖が少なめのフルーツタルトでした(^^;)

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 マリーサの私の評価は「よく働く」だった。お料理が知りたいばかりに常にキッチンに張り込み、あれやこれやとお手伝いをしていたので当然だった。それに、レッスン中かかってくる電話のためにマリーサがキッチン不在になったときには、ひとりで延々と手打ちパスタを生産しつづけていたりと、そりゃあよく働きました。マリーサの長電話中に私が1人で仕上げた生パスタ、どうよ。やっとこ電話が終わってもどってきたマリーサは決まって大絶賛。「あなたってなんて素敵な子なの!こんなよく働く日本人はじめてよ!」
 お調子者のナポレターノにのせられるのはかなりおてのものになってしまった。しかし、一番嬉しかったのは「manaは太陽みたいに元気で明るくて、ほんとにナポリの女みたいね!」といわれたことだった。ナポリ人にとって太陽は一番といっていいほど大事なもの。その太陽みたい、と言われるのは最上級の誉め言葉だと私は受け取っているのだけど。たしかに、ナポリはイタリアのどの街よりも、私が一番素直で自然にいられる場所だなと思う。私、ナポリあっているわ。

 それから、マリーサはほんとに私のお母さんのように、なれないイタリアで結婚式をする私のためにいろいろ気を使ってくれた。このお話はまた、結婚式の記事に書こうとおもうのだけど、マリーサがいてくれたから私のナポリ生活も楽しく充実したものになり、結婚式も思い出深いものになったんだと思って感謝している。

 そそっかしくて、ナポリ人にも一目置かれるちょっとクレイジーで心優しいナポリのシニョーラ。「夏は暑くて料理したくないから、それ以外にまたいらっしゃいよ。」としゃあしゃあと言ってしまうマリーサに再訪の約束をした。
 トニーノにマリーサ、イタリアにまた会いたい人がいっぱい出来てしまって、次回の私のイタリア滞在はきゅうきゅうになっちゃうな、と今から心配してしまう自分がおかしくて笑ってしまった。

 
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by buonaforchetta | 2006-11-16 01:20 | 2006年イタリア滞在記

イタリア料理留学記5 ナポリの洗礼

プーリアのまぶしい太陽と、温かい人たちのぬくもりを離れて私が向かったのはナポリ。ずっと来たくて来たくて仕方がない土地だった。前回のイタリア料理留学の際にはナポリの近くの街、ソレントに滞在しながらの南イタリア料理を習得したのだったが、今度こそ、ナポリでナポリ料理を学びたいと真剣に考えていた。
 しかしながら、悪名高きナポリ。本格潜入は初めてなので、ナポリ中央駅に降り立ったときは正直全身ガチガチだった。
 最初のステイ先のマリーサの家まではタクシーで行くことにしていたのだけど、まず、タクシーに明るく、フレンドリーにボラれた。タクシー乗り場から正規のタクシーに乗り込もうとしたら、脇からやってきたちょっと小さめのタクシーに「こっちのほうが早いからこっちに乗んな!」とあれよあれよと言う間にスーツケースを詰め込まれてしまった。必死で値段確認をしたところ、まあ、だまされても惜しくない額だったので諦めてこのタクシーを使うことにした。運チャンは「ナポリに何しに来たんだい!?顔が緊張でこわばっているじゃないか!」と親しげに話しかけてくる。何って、アンタに不信感なんだよ・・・とはいえず、「ナポリのタクシーはぼると聞いていたので・・。」とボソッと答える。運チャンはしたり顔で残念そうにうなずきながら「でも、そんなヤツばかりじゃないから。ここはいい街だぜ。」とのたまう。ナポリ弁バリバリの聞き取りづらいイタリア語で運チャンのマリオといろいろ話をしているうちに私の緊張は解けてきた。どうやら、怪しい路地裏で下ろされて金品を巻き上げられることはないようだ。マリオは「それじゃあ、オレがお前のナポリで第一号の友達だ。困ったことがあったらオレを呼べ。」といって彼のタクシーの名刺をくれて、目的のマリーサ家の前まで送り届けてくれた。こんな風に気持ちよく分かれたが、後で知ったのだが、駅からマリーサの家までのタクシー代はやっぱりこんなにかからなかった。5~10ユーロほど高かったんだけど、まあ、ナポリの洗礼を受けたと思って、そしてなにより、うまく私を気持ちよくだましてくれたマリオへの高いチップだと思って、このことはすぐにいい思い出として処理することにした。イタリアにいたらこれくらいの気持ちじゃないといられない。

 そんなこととはつゆ知らず、マリーサの住むマンションの入り口にたつと、すかさず1人のオバアチャンシニョーラが大声で叫びながらよってきた。マリーサは知る人ぞ知る有名人なので、私も、このシニョーラがマリーサだと一発で分かった。
「あなたね、まってたのよぉ。昼からさっそくレッスンしましょ。魚料理にするつもりだから、今から魚屋にいくのよ。近くの魚屋にいくんだけど、そこがけっこういいのよ。アナタももちろんいくでしょ?じゃあ、荷物いったん置いてすぐ行きましょ。あら、名前はナンだっけ?イタリアには何日いるの?今日はナポリの天気はわるいのよぉ・・・・・(以下省略)」
とのべつまくなく話しかけてくる。私は相槌をうつすきも無い。寡黙で温厚なトニーノに慣れてしまったわたしはここでもさっそくナポリの洗礼を受けた気がした。ようしゃべります、ナポリ人は。

f0023069_0564191.jpg荷物を置いて、魚屋に向かう途中でもマリーサの質問攻撃&おしゃべりは止まらない。たまに話に熱が入りすぎて道路の真ん中で立ち止まり、私にいろいろきいてくる。話を聞いてくれるのはうれしいんだけど、車にビーッビーと鳴らされるのはたまらなかった。とりあえず、初対面なので生粋のナポレターノに「車にひかれたら大変だから、道の端によけましょう。」とはいえず、死にませんようにと祈るしかなかった。(翌日からは私も言いたい放題だったけど)
 やっとの思いでついた魚屋や八百屋でたっぷりと買い込みをする。細い路地に生鮮食品が所狭しと売られていて、人もわんさか。下町エネルギーっていうんでしょうか、雑多な感じの生命力を強くかんじて、プーリア平和ぼけは完全にすっ飛んでしまった。


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 そんな魚屋でゲットしてつくったナポリ料理第一号。ナポリっ子が大好きなメッザ・ジータというパスタに絡めたお魚ちゃん。ぎゅっと味が凝縮されてて、すごくウマイ!ナポリに来たーってまたまた思わせてくれる料理。
 外はパトカーがサイレン鳴らして走って、ごみ処理場のストライキのせいで街中ゴミ袋があふれかえっているけど、私は絶対、この街が好きに違いないとこの一皿で確信してしまった。 

ナポリのゴミの山みたい?
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by buonaforchetta | 2006-11-15 00:58 | 2006年イタリア滞在記

イタリア料理留学記4 オレキエッテもいろいろ

 トニーノ家を離れて私が向かったのはプーリア州の州都のバーリ。港町のこの町はいまや世界遺産に登録されているマテーラへのアクセスも便利、ということでここをしばらくの滞在先にきめたのでした。
 初日はマテーラまで足をのばして、ひとしきり観光。マテーラに向かう電車の中で1人「世界の車窓から」のごとき写真を取りまくっていると、乗り合わせた車掌が、「そんなに写真とりたいなら運転席にきな!」といってスペシャルな特等席に案内してくれる。日本でこれやったら、アナタ、即、クビですよ(^^;)そしてその日の運転手は、終点のマテーラまで私をのせってってくれると勤務明けということで彼の自家用車でマテーラ案内をしてくれるのだった。プーリアの人はここでも温かい。
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 そんなこんなで楽しんだ翌日は、バーリ市内をうろつくことに。
 私御愛用の地球の歩き方、によると「バーリの旧市街はカメラやバックを不用意にさらすようなことは慎みたい。」とある。まあ、そんなのイタリアなら当たり前なんだけど、わざわざトップページに書くものだから当然私もびびる。
 イタリアの街、と言うのは昔ながらの風情というか、歴史的建物が多く存在する地区は、数百年前と同じ姿でのこし(旧市街)、その周りに近代的な住宅地やショッピング街(新市街)をつくるというような二重の構造で成り立っている街が多い。たいがい言われているのは、旧市街は取り残された人々(=貧しい人々)がおおいので治安が悪いということだった。特に南イタリアの街ではそれが顕著であるという。

 新市街の現代的な建物群をぬけて、通りを一本挟むと急にタイムスリップしたかのような古い迷路のような入り組んだ路地の旧市街に迷い込むことになる。ナポリ人もビビるとうこのバーリの旧市街。最初は気が気ではなく、怪しいやつはいないかときょろきょろするばかりだった。(そこまでして観光しなくても・・・・)
f0023069_0163846.jpg しかしながら、そんなに怪しいやつというのはいないもで、浜辺でつりをするおっちゃんや、ごつい魚市場のオヤジ、外国行きの客船をまつ港の人々の賑わいはやはり私のこころをなごませてくれるものばかりだった。
 昼時になってきて、お腹もすいていると誘惑には勝てず、美味しいレストランを求めて、少しずつ旧市街の細道を奥へ奥へ進む私。なんとかリストランテにすべりこみ、愛想は悪いが味はいい店でまたまたプーリアのごちそうに舌鼓をうつ。赤ワインも当然すすむ。店自慢の手打ちパスタを平らげた頃には程よくよって気も大きくなる。

 「旧市街、ちょっとさんぽしちゃおっか?」「うん!」と自問自答して、あてもなく細い路地をすすむ。アドリア海に注ぐ午後の太陽の日差しは強烈で、怖いという旧市街もそれほどでもなく映る。すると、道の奥でこんな人々発見。
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 どうやら手打ちパスタをつくっているよう。最初はこそこそ陰からのぞいていたが、思い切って声をかけてみる。「見ていい?」というと彼女たちは「もちろん!」と答える。
これはプーリア名物のオレキエッテをつくっているよう。しかしながら、手元は目にも見えずスピードで生地の巨大なカタマリをみるみるうちにちいさな愛らしいパスタへと変身させていく。これがうわさのバーリ風オレキエッテか。

 この勇気のある日本人は「私にもやらせて」と願い出る。必須アイテムのナイフと席をそのうちのひとりが譲ってくれて、さっそくチャレンジ。みよう見真似でつくってみるができない。
トニーノ宅でオレッキエッテをならったばかりでけっこうイイ線でつくっていたし、料理教室でも自信満々にオレッキエッテのレッスンをした私としてはなんとも面目がたたない。
このバーリ風オレッキエッテというのは、とっても小さくて、いままで教わった耳たぶが厚めオレッキエッテとは少々違う。小さい分、指にのせてくぼみをつくるのが難しいので、ちょっと生地を寄せて仕上げにふくらみをもたせるのが特徴のよう。

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「お手本をみせて!」とお願いするも「こうよ!」といって3倍早送りでオレッキエッテを作る彼女らの手元はゼンゼン見えない。いちおう、彼女なりにスローモーションでやっているようなんだけど。見えないっす(^^;)
そんなため私の作ったオレッキエッテ50%は厳しいマンマによってはじかれてしまうのだった。
同じプーリアでつくるオレッキエッテでもカタチも何もほんとにさまざま。一口にこの料理、知ってますっていえないなぁ、とイタリア料理の懐の深さを垣間見てしまう瞬間だった。

ちなみにこの大量のオレッキエッテ、毎日2キロ分のセモリナ粉を成型するそう。それも、地元のリストランテにおろしているとか。へたっぴいな日本人がつくった、オレッキエッテがバーリのどこかのレストランで食されるかと思うと小気味いい気分だった。

労働(!?)を終えると美味しい入れたてのカッフェを御馳走になってしばし、ドンナたちとのおしゃべりに、高い壁が日差しをさえぎる涼しい路地で、私もまぜてもらうのだった。いきなり表れた謎の東洋人をパスタ作り(しかも売り物)に混ぜてくれて、カッフェまで淹れてくれるなんて、やっぱりじんわかとこの土地の人の温かみを感じる。
 そこへかわいい男の子!パスタ名人オバチャンの孫だとか。フェラーリのおもちゃ車にのり、トッティのユニホームに身を包む、5歳児ながらなかなかイケメン★ふう、君がほんとに20代半ばで、トッティのようなスーパープレイヤーでフェラーリ乗り回していたら、私、ほんとにくっついいっちゃうのになあ、と心の中でふと思ってしまった。あと20年は私待てないわよ。
 しかし、最高のプレゼント。だっこさせてもらった生後9ヶ月のマテオ(将来のトッティの弟)がおばあちゃんに「このシニョリーナ(お嬢さん)、にバーチョしてあげなさい。」といわれて、私がホッペを突き出したものの、なんとまあ、このマテオちゃんたら、私の口にチュウするもんだから。25歳年下の男の子だけど、やっぱりちょっとドキドキしちゃいます(笑)。えなりくんごめんねぇ、ちがう男の子とキスしちゃったよ。
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(手前がトッティ予備軍クン、後ろのクリクリヘアのオムツちゃんがマテオ♡)

 バーリの旧市街の路地裏でまたまた素敵な思い出ができてしまった。きっと今日も彼女たちは道端にテーブルをだして、おしゃべりしながらオレッキエッテをつくってるのだろう。また、バーリにくることがあれば、ひょこっと顔をだして、今度こそは足手まといにならないよう、お手伝いさせてもらいたいな、なんて思う。
                                        (2006.10.3)
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by buonaforchetta | 2006-11-13 23:02 | 2006年イタリア滞在記