カテゴリ:2006年イタリア滞在記( 23 )

トスカーナの田舎でごろごろ

 翌日、パパをフィレンツェの空港までみおくってしまうと、ここからは本当の(?)新婚旅行のはじまり。
トスカーナの田舎にあこがれていたえなりくんのために今回私が選んだお宿はフィレンツェより
電車で1時間の町、ボルゴ・サンロレンツォにあるアグリツーリズモ。
2LDKのコテージをまるまる借り切って3泊4日、おもうぞんぶんのんびりの予定。
夕刻にたどり着いたそこはピンクの外壁がかわいらしいいかにもイタリアの田舎の風景。
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お部屋には手作りのウェルカムスウィーツも準備されてました。感激。
お部屋もそれはそれはかわいくて、ここにしてほんとによかった♡
初日は他の宿泊客とディナーを楽しんでふけてゆくトスカーナの晩秋を楽しむのでした。
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 こちらに宿泊する方はだいたい、昼間はフィレンツェ観光に出かけるのですが、私たちはフィレンツェはもう満足なので、ひたすらごろごろすることに。
備え付けのキッチンでランチを作ってテラスでのんびりと食べるのです。
そういえば、結婚して最初の手作りゴハンがここででした。
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ワインもすすむ(笑。
えなりくん、これじゃただの酔っ払いでしょー!!
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たらふく食べて、たらふく飲んだ後はちょっとお散歩をして、ぐっすりお昼寝。夕方からは、こちらのコテージの母屋で料理レッスン。ここを選んだのはじつは料理レッスンがあったのも理由のひとつ。新婚旅行中でも料理修行に余念のない研究熱心な私でした。

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それに、少し一緒に料理をつくってお料理にえなりくんが目覚めてくれるのをきたいしたのだけど・・・それは儚い夢でした。ハァ。
ここで習ったお料理が、12月のメニューに2品登場してましたよん。

  ここで私の念願がかなうことに♪♪朝のお散歩をしているとオリーブ摘みの準備をしているおじさんに遭遇。
「ちょっと手伝わせて!」とお願いするとおじさん、快諾。
念願のオリーブ摘みがかなっちゃいました。
御満悦です。
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そんなこんなであっというまに4日が過ぎてしまい、食っちゃ寝ごろごろですっかりここのお宿に根っこが生えてしまった私たちはさらに延泊してどこまでもぐーたらイタリアライフを楽しむのでした。
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by buonaforchetta | 2006-12-30 09:45 | 2006年イタリア滞在記

イタリア縦断新婚旅行(withパパ)ダイジェスト~②

2006年10月31日 
ローマに戻って一泊した翌日は、またまたバスツアー。
ローマから出発して終点がフィレンツェ。そのフィレンツェにむかう途中に、シエナとサンジミニャーノの2都市を回るプラン。えなパパ、トスカーナが初めてなのでいろいろみせてあげたい優しいお嫁さんの心遣い。えらいぞ、私。
 朝の8時くらいにローマを出発。利用したツアーはJALユーロエキスプレスという、日本人向けの現地ツアー。乗客は全て日本人です。ガイドさんは正統派ブロンド美人のガブリエラさん。今どきの若者よりはるかに正しくて美しい日本語を話す方でした。敬語の使い方などほんとにバッチリさんでした。
 
 イタリアを南北に走る高速道路を、昨日までとは逆方向、北に向かって走ります。
景色はどんどん、なだらかな丘が続くトスカーナの田舎の風景になっていきます。
トスカーナの風景もはやり癒される。地方地方で景色ががらっとかわるイタリアにえなり親子、感銘をうけてました。
 
 最初に到着したシエナはえなりくんが楽しみにしていた街。私は2度、ここでお料理を勉強していたので懐かしい印象です。乾いた赤茶色の中世の街並ははやりキレイです。
一緒に観光・・・といきたいところでしたが、私はシエナの料理学校に用事があって、いったん単独行動。Vodafoneの電話があれば、イタリアでだって待ち合わせできるもんね。便利な時代になったもんだ。
2時間の集団観光のあとは自由行動。そこから再合流して、世界一美しい「カンポ広場」でランチを。ポルチーニのタリアテッレにエナリクン大満足。帰国してからもしばらくは「ポルチーニー、食べたーい!」と大騒ぎするほどでした。
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シエナは私は3回目だったので、改めてとりためた写真をみても数少な・・・・。正直者のわたしです。

そのあと向かったサンジミニャーノは塔の街とよばれるこれまた中世のきれいなまちです。
乱立する塔が独特の風情を出しているのですが、一番見せたかったのはこの風景。
畑が一枚一枚色が異なっていてまるで織物のよう。私が一番トスカーナらしいとおもう景色が
サンジミニャーノなのです。
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2都市弾丸観光が終了して、夕方にはフィレンツェへ。
フィレンツェではホテルではなく、ドォーモ裏にある、B&Bに宿泊しました。
こちらのB&Bは普通のレジデンスのワンフロアを宿泊施設に改装してあるので、その他の階は一般市民が住むおうちなのです。だから鍵の開け方とか、年代物の埃臭いエレベーターがあったりとジモティ気分を味わえるのがいいかなとおもいまして、こちらにしました。
もちろん内装もかわいかったんんだけど。
興味のある方はこちら la casa miaさんのサイトへ。

かわいい室内で休憩してから、ディナーはビステッカ・アッラ・フィオレンティーナを食すことに。
フィレンツェ歴の長い友人に聞いておいたトラットリアで食事。
最低1キロで出されるビステッカ。今日は3人だから楽勝ね、と思ってオーダーすると肉の切り方の関係で1.2キロだされました。
パパも歳だからあんまり肉はいらないというもので、結局2人ががりでこちらのカタマリをたべることに・・・。骨と骨の間の肉が柔らかくて美味しいのよ!ひさびさにビステッカを堪能しました。
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ワインも2本を空けて、すっかりほろ酔いで外へ出ると、仮装をした子どもたち。今日はハロウィンの日で夜も遅いのに街はすっかりおまつり騒ぎ。
あいにく子どもたちにあげるお菓子を持ち合わせていなかったのですが、快く写真撮影に応じてくれました。
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2006年11月1日

この日はまるまるフィレンツェ観光。
かといって美術館にはいるわけでもなく、ただのんびりとフィレンツェの街なみをたのしむお散歩をしたのでした。
パパは明日でフィレンツェラスト。
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by buonaforchetta | 2006-12-29 09:46 | 2006年イタリア滞在記

イタリア縦断新婚旅行(withパパ)ダイジェスト~①

 結婚式の翌日からは、えなぱぱを4日間の弾丸イタリア縦断旅行へご案内。
パパが帰った後は、2人でゆっくりイタリア滞在するつもりなのでここはひとまず親孝行に徹することに。
4日間で効率的にイタリアを回るにはやはりツアーが便利。
ということで、まずはローマ発着のナポリ・ポンペイ・カプリ島の1泊2日ツアーへしゅっぱ~つ。

 イタリア現地の旅行会社が主催のバスツアーなので、バス車内は国際色豊か。そんなわけで、バスガイドは英語・イタリア語・スペイン語が話せるナントカサンと日本語担当のオネエサンが乗り合わせしてました。

ローマを出てはるばる3時間。
1週間ぶりにナポリに戻ってくるのもつかの間、卵城前での写真撮影休憩のたった5分。
うまく待ち合わせをしてナポリ滞在中に仲良くなった日本人のAさんと落ち合い、私のウェディングブーケをプレゼント。ナポリでステキなイタリア人見つけてくださいっ!
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 あとは車窓から、ナポリ市街のハイライトをサーっと回る。途中、マリーサ家の近くを通ったのでえなり親子、なぜか大興奮。一瞬のナポリでしたが、えなりくんにはインパクト大だったらしく
「次はナポリにじっくりステイしたい」といっております。

 そこから、ポンペイへ移動。途中、ツアーに含まれているランチをポンペイのレストランでとるものの激マズ~。イタリアにこんなまずいものがあるのかと、びっくりしました。
ツアーの宿命。飯がまずい。ハァ、ごめんね、2人とも。
 とりあえず、気を取り直し、ポンペイ観光へ。ポンペイは2回目でしたが、ほんとに広くて見尽くせない!3時間の観光でしたが見れたのはほんの一部。
10月末とはいえ、まだまだ日差しがきつい南イタリアの昼下がりの観光はけっこうパパにはつらかったらしくちょっとお疲れ気味。
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 ポンペイを後にし、向かったのはソレント。
ここは前回の私の料理修行の場。思い出の街。
切り立つ白い断崖絶壁と青い海。何度見ても感動の景色です。
ツアー込みのホテルはベストケーションでハイグレード。これぞシーズンオフの強みでしょうか?ディナーもけっこうおいしくいただき、地元の白ワイン、グレゴ・ディ・トゥーフォをぐびぐび。
すっかりお疲れのパパは夕食後すぐに寝てしまったようですが、私たちはホテルのラウンジで
これまた地元産のリモンチェッロをちびちびやりながら静かなソレントの夜を楽しむのでした。
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                                          (2006.10.29)
 晴れて翌日。ソレントの港からフェリーで30分、カプリ島に向かいます。
ガイドは陽気なナポレターノ・マリオ。今日は日本人ガイドがつかないので私ががんばる日。
マリオに「君は英語・イタリア語、どっちで話してほしい?」と聞いてきます。「じゃあ、イタリア語で」と答えると「イタリア語・ナポリ語どっちを話せるんだ?」という質問(--;)仕方ないので「もちろんナポリ弁で!」 マリオご機嫌~!!
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 今日のメンバーはなぜかラテンのお国出身の人たちばかり。テンション高すぎ。
カプリの港でチャーターした小型バスの中ではマリオが「オー・ソーレ・ミーヨ」を鼻歌交じりで歌いだすとバス中で大合唱。妙な一致団結具合でした。
 あいにく波が高く青の洞窟には入れなかったものの、この景色が拝めただけでももう十分。
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こちらはカプリの時計台。これと同じ文字盤の腕時計があったので、えなりくんにおねだり。
新婚旅行の記念に買ってもらいました。やったぁ。だけど、帰国してはや2ヶ月。
未だに使用していないことはえなりくんには内緒。


一日、カプリのパノラマを楽しんだあとは、ひたすらローマに向けて帰るのみ。
ほんと弾丸な2日間でした。
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by buonaforchetta | 2006-12-23 00:03 | 2006年イタリア滞在記

イタリア料理留学記10 ロレーナのレッスン

ナポリを離れて再びローマへ戻る。
ローマも相変わらず猥雑な雰囲気がある町だけれど、ナポリと比べるととっても近代的で町がきれいに見えてしまうのはナポリ病でしょうか。
なによりも、女の人がみんな細く見えるのにびっくり。ナポリっ子、老いも若きもおなかにたっぷりの脂肪をたくわえてゆらゆらゆれている(しかもチビTきておなか丸出し)のにみなれちゃったので、すこしぐらいのぽっちゃりさんでも私からみれば十分スマート。
やっぱりナポリは異次元だったようだ。
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私一人のお料理の勉強もいよいよ終盤。あと5日後には、えなりくんたちがやってきて結婚式をやったり新婚旅行をしたりすることになる。それはそれで楽しみだけど、一人イタリアが終わりかと思うとちょっとさみしい。それに、独身最後でもあるしね。
 ローマのちょっと郊外の住宅地のB&Bにステイしながら女性ソムリエのロレーナにお料理を習うのが今回の〆。ロレーナは日本の旅行雑誌にもよくのっているので、B&B(というか彼女の家)につくと今まで何十人と受け入れてきた日本人客のお土産で日本の気配がありありだった。




日本人がよくステイするところには彼らの置き土産で日本の小説がおいてあることが多い。
普段、小説はえり好みをして読む私だけども、旅先で出会った日本語の本は何かのご縁かと
おもって手にとって読むことにしている。日本を離れて、毎日イタリア語尽くし(旅の終盤にさしかかると一人言もイタリア語がでてくる・・・)の日々を送っていると久々にみる日本語の活字は新鮮で、文章もみずみずしくかんじる。そんなわけで、観光にも疲れた私はレッスンや近郊のエクスカーションにつれていってもらう以外は部屋で読書三昧だった。たまにはこういうのもいいんだってば。


 一人娘のエレナには日本のアニメグッズをプレゼント。イタリアでも日本アニメは大人気。TVでは「らんま1/2」はいつでも放送されているし、なぜかつり吉三平とかいなかっぺ大将とか、日本人の私でも見たことが無いアニメが放送されてます。イタリア人に今の日本がこんな感じかと思われていたらやだなあ。

 ロレーナのレッスンは夕方から始まるのだけれど、かならずロレーナのマンマがお手伝いに来る。レッスンの途中でエレナのお迎えに行かなきゃいけないことがあるので、そういう時はマンマがレッスンを交代して教えてくれるのだった。しかし、困ることに毎回この二人は対立する。ロレーナがパスタのソースにハーブを入れようとすると「あなた、そんなの入れたら風味がだいなしよ!」とマンマが口を出す。
マンマはオリーブオイル控えめがモットーなので、どぼどぼオイルを入れようとするロレーナに苦言を呈したり。たまにお互い一歩も譲らず、えらく険悪なムードが漂うことがある。そういう時は、世渡り上手な私はイタリア語が急に分からなくなるので、私に加勢を求めてくる両者を見てもなんのことか分からないフリ。
 ただし、相手があっちをむいている隙に「私の言っていることが正しいでしょう!」といわんばかりにアイコンタクトを送ってくるときには必死でうなずくというフォローをお忘れなく。
一品作るたびにこんな感じだったので、すっかり慣れっこになってしまったが、毎回ケンカするってわかっているならマンマを呼ばなきゃいいのになぁ、と私は思う。ゲストが困っているのもそっちのけで親子ゲンカを繰り広げるのも、やっぱりここはイタリアね。
 
そんなロレーナの料理は、ロレーナ流というか、バリバリアレンジがはいったイタリア料理。
ナポリより北上してきたので、料理に牛乳・生クリームを使う回数がぐっと増えて、お土地柄がでている。ソムリエということもあるので、ワインに因んだお料理やお菓子もあってこれはなかなか興味深かった。季節柄、ハロウィンのかぼちゃランプを作る関係でやけにかぼちゃを使ったメニューが多かったな(^^;)
できたかぼちゃのランプはエレナのハロウィンパーティに大活躍したことでしょう。
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 ロレーナのマンマもお料理上手で、そしてとても研究熱心。「ノンナ(おばあちゃん)の料理」というぶあつい本貸してくれて「50年前の料理と今の料理は名前が一緒でもぜんぜん違うのよ」と教えてくれる。トマトソースにたっぷりのパンチェッタとペコリーノが入っているアマトリチャーナも一昔前はどちらかというとトマトがかなり少なくて、白っぽいパスタ料理だったようだ。
マンマのレッスンだけを受けたお友達がいて、彼女の話によるとマンマの料理、かなり美味しいらしい。今度はぜひ、マンマにもローマ料理を習ってみたいものだと思う。次はローマを攻略したいところ。
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 日本に帰ってきてからも私がはまっているお菓子がこれ。白ワインで練ったクッキーでロレーナに習ったもの。自分でいうのもなんだけど、ロレーナと同じくらい上手に焼けるのよ、私。
やみつきになるお味で、レシピを人に教えるのはもったいない!くらいのお気に入りなんですが、そこはイタリア料理教室の先生の使命、来年のレッスンでご紹介しますのでご安心くださいね。

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 そんなこんなで私の料理留学記はひとまず終了。新婚旅行の時に隠れレッスンを仕込んだので、それは次回からの
新婚旅行編でご紹介。まだまだイタリアネタは続くのだ。
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by buonaforchetta | 2006-11-26 15:54 | 2006年イタリア滞在記

イタリア料理留学記9 ナポリシステム


ピーノとテレサのレッスンは、毎回テーマがきまっていて「肉がベースの料理」「野菜がベースの料理」
「日曜日のごはん」「友人を招いて」など、シチュエーションごとのメニュー構成がくまれていた。
イタリアの強行突破でよくあるのが、肉を煮込んだソースでパスタを和えて一皿とするウラ技。
これであっというまに2品完成となる仕組みをここの料理教室でも活用していた。おいおい、もう一品、作らなきゃ割りにあわないでしょ!!とはいっても、これが普通の感覚なのかな、とおもわなければいけないのかな。
実際、肉が煮えた後でも、肉だけを取り出してソースだけを何時間も煮込んで別の料理の材料として使うなんていうケースもあるので、やっぱりこれが正統派なのか。
 また、ここ教室では、レッスンの前に作業台にすでに今日の材料が全部用意されている。フリーレッスンを組んでもらうと、当日までメニューが分からないので、この台の上の食材で「ああ、今日はこんな感じか。」と初めてレッスンの内容を知ることができる。たまに材料がたいしたことの無いものばかりだったので「今日ははずれか・・・。」とレッスン前に勝手に出来上がり料理を想像してがっかりしたことがあったけれど、何気ない素材でおいしくてやみつきになる料理に大変身してしまったりと、いろんな意味で驚かされる料理を何種類も習った。ナポリ料理の中には「社会の最下層の人々」が裕福な人々が食べない食材(部材)や少しの余りものを使って編み出したものも今でもしっかり伝統として受け継がれているので、たまにこんなサプライズもあったりして、なかなか毎回目がはなせないレッスンだった。
 しかしながら、毎回きちんと計量された材料が準備されていると、私みたいな不良生徒のつまみ食いチャンスが限られてしまう。そこで、私はここのレッスンに慣れるに従って、つまみ食いより盗み食いが得意な生徒に早変わりしたのだった。素材自体の味を知ることが大事だ、ということが前提での盗み食いであることを何回もここで強調させていただきますケド、決して私がBuonaForchetta(食いしん坊)だからだとかそいいうことじゃないのよ。
 
 料理教室のメンバーは私とスイス人のおじさん(夏季休暇を利用してイタリア満喫中)を除いては毎回入れ替わり。
たまに私と同じアパルタメントのルームメイトのアメリカ人のトーマスが遊びにきたりと、雰囲気が毎回異なっていた。このトーマス、アパルタメントの共用ダイニングではいつもドラマのERみたいな医療用の服を着ていて最初はいぶかしく思ったが、彼はアメリカの病院で医療スタッフをやっているとのことで納得がいった。(その服でリラックスできるのかは謎)
そんな彼はイタリア語がとても上手で、一句一句丁寧に言葉を選んでしゃべるかんじがとてもインテリにみえて好きだったのだけど、一度、アメリカ人同士でアメリカンイングリッシュでまくしたててしゃべっているのをみるとアメリカ人!って感じでちょっとなぁ、残念。

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(マナとトーマスのクッキングショー!みたいなかんじの写真映り)

 それでも優しいトーマスがいると、料理教室が終わって夜9時~10時くらいにフニコラーレに乗ってアパルタメントに帰るのもそんなに怖くはなかったのだけど、さすがに一人の時はフニコラーレの駅からが怖かった。悪名高いナポリに慣れてきたからとはいえ、夜の女の一人歩き、危険!駅5分程度の私の部屋まではいつも小走りか競歩で帰るのは当然だった。みしらぬイタリア人カップルの後ろをくっついて歩くのも安全対策にはよかった。5秒おきに後ろを振り返り不審人物チェックも欠かさない。それでも不安なときは「オラは死んじまっただ~」を大声で歌うのが効果的だったかと。不審人物も変な人間には近寄ってきませんから。
安全対策にオススメしますよん。

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(夜の駅はひっそり)

 たまに困ったのがフニコラーレの終電の時間だった。月曜と火曜は10時が終電とのことで通常より2時間も早い。なんでも、土日に遊びすぎて疲れたナポレターノは月曜と火曜は仕事でぐったりしているので、誰も夜までうろつく元気がないから、乗客も少ないので終電も早いというのが理由らしい。確かに、土日は深夜まで若者が徘徊して馬鹿騒ぎをしている広場も月曜日にはひっそりと静まり返っている。そんな静かな日はやっぱり帰るのが
ちょっと怖い。
日本では言い訳にもならないような理由で電車の終電が決まってしまうそんなシステム、ここではアリ。
その他にも地元ルールがたくさんあって、へんてこなナポリシステムに泣き笑いした3週間でした。
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(おいしくて思わず踊っちゃう:ナポリの人気パスティッチェラ<お菓子やサン>の前で)
 
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by buonaforchetta | 2006-11-25 00:52 | 2006年イタリア滞在記

イタリア料理留学記8 ピーノ&テレサのレッスン

 ナポリで毎日ぷらぷらしていた私ですが、夜は毎日料理レッスンへいきました。場所は、ナポリのやや高級住宅地のヴォメロ地区。ナポリを一望できる丘の上にあり、そこまではフニコラーレ(ケーブルカー)で登っていく。ケーブルカーというと。風光明媚な景色が楽しめる乗り物であるイメージがあるけれど、ナポリのフニコラーレはケーブルカーの地下鉄版。真っ暗で何も見えません!バスだとグネグネ道を登っていかなきゃいけないし、そういう意味ではこのフニコラーレは直線で山の頂上まで一気に上がっていくので便利。

 そんなフニコラーレの終点にある料理教室はこんな感じ。とってもかわいくて、機能性もばっちりのキッチン。
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教えてくれたのはピーノ&テレサ夫妻。
ピーノは建築家(キッチンの設計は彼のもの)でプレゼピオ作家で「料理はボクの第2の情熱だ!」と豪語するナポリを愛するナポリ人だった。(プレゼピオとは、キリスト降誕の様子を、民衆の生活に織り交ぜて表現したジオラマのこと。彼の作品をみせてもらったがとても精巧なものだった。)ナポリ弁を伝承するための学校を設立中で、ピアノもギターも弾けちゃうという、要はマルチ人間。背が低くて白髪でつばをとばしながらぜんまい人形みたいにしゃべる人だった。そして名前がピノって・・・・・。(本名はあるんだけど、日常生活はこれで通しているらしい)
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イタリアのキッチンは作業台の位置が高いので、この背の低いピノが大人数用のデカ鍋を背伸びしながらかき混ぜている姿は白雪姫の7人の小人が炊き出しをしている姿のようで、たまにその不思議な光景をぼーっとみてしまうと時があった。

f0023069_0262085.jpg 奥さんのテレサも生粋のナポリ人だったが、とても冷静沈着な人で大声でおしゃべりしたり、いきなり歌いだしたりすることはない人だった(笑。テーブルウェアが大好きなようで毎日のレッスンはお料理にあわせてテーブルクロス、ナプキン、お皿を選んでセッティングしてくれるのが楽しみだった。お皿をいったい何枚持っているのだろうというくらい種類が豊富だった。



さて、こんなご夫妻のレッスンは「生粋のナポリ料理」。変人ピーノは常に「クラッシックな調理法」にやけにこだわる人だったので、昔ながらのナポリ料理を知ることができた。ナポリ料理入門編というか、ナポリ料理の王道レシピが勢ぞろいだったので、今回の私のナポリ滞在の目的は果たされた感があった。
 たまに、とっても奇抜というか、肩透かしな料理もでてきたのだけど、たいていこういうのは変人ピーノが「ナポリ国立図書館の古書から拾ったレシピ」とかなのだ。とりあえず、古いナポリ料理にこだわるので、外す時はひどかった。今の味覚とちょっとちがうのね。

とはいっても、ナポリ料理のルーツは紀元前にまで遡れるので、ちょっと古い文献からひろったレシピどころのはなしではないのがナポリ料理。
古代ギリシャ人がナポリに住んでいたころの料理の名残がいまでものこっていたり、はたまた、フランス・スペイン王朝支配下にあった時代の料理が根付いていたりと、一口にナポリ料理とはいってもさまざまなのだ。料理自体がナポリの年表とでもいおうか。
料理のひとつひとつにエピソードがあるのも興味深い。

 変人ピーノのナポリ熱はたいそうなもので、ちょっとでも「昔ながらじゃない」料理を見かけたり、食べたりした話をすると「こんなのナポリ料理じゃない!!」と、小さい体全身を震わせて
ぴいぴい文句を言ってくるのでたまらなかった。 
多分、彼とマリーサは性格的に正反対なので、変人ピーノがマリーサのちょっと今風アレンジ料理を知ったら、これまた憤慨するのだろうし、逆にマリーサがこの融通が利かないステレオタイプ人間にあったら、表情にこそ出さないけど心の中では「こんな化石みたいなレシピより私の料理のほうがおいしいんだから!」て思うんだろうなあと想像した。

100人いたら100通りのお料理があるものです。けれども、世渡り上手な私はそんなことはいわないで、イタリア人がよろこぶ魔法の言葉を知っていて「ここの料理が一番おいしい!」と言えば、すべて丸く収まるのだった。イタリア人相手ってけっこうたいへんなのよ。

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by buonaforchetta | 2006-11-22 08:51 | 2006年イタリア滞在記

イタリア料理留学記7 最高の言い訳

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ナポリ生活3週間のうち、2週間は語学学校付属の料理教室に通うことになっていたので、学校で斡旋してくれたアパートへ引越し。しかも、マリーサ家から徒歩2分と激近で、優良物件(笑)。
 語学学校付きの料理レッスンなので、学校の初日には語学のレベル分のテストを受けなければならなかった。今回のイタリア滞在、1年以上ブランクがあったうえにたいして日本でも勉強もしていなかったと言うのに、自分で言うのもなんだけど、恐ろしいほどペラペラしゃべって、かなりの確率でリスニングもバッチリと、私のイタリア語学力はやけに冴えていた。ので、試験もイイ線いくかなーと思ったけど、やっぱりペーパーテストはごまかせず、さんざんな成績で私が入れられたのは下から2~3番目のクラスだった。
 口頭テストはまあ、調子よくペラペラしゃべったのでイイ線いったかも、と思ったのだけども「あなたのお得意料理は?」という質問にうかつにも「ボローニャ風ラザニア」と答えてしまって、試験官のナポレターナのご機嫌を損ねてしまったのは大失敗だった。ライスコロッケとかそのあたりを言えば良かったのか。これからお得意料理にするために今回ナポリにきているんだから、無理言わないでよ。

試験の成績悪かったからか、先生の機嫌を損ねたのが悪いのか、そんなこんなで入れられたクラスはやっぱり授業が簡単すぎた。
フリートークの時間は、となりの席の生徒に「過去形の活用はねぇー」とか、教えるハメになり、初日で語学レッスンに飽きてしまった。「もうちょっと上のクラスに変えてください!」と教務課にいえばいいんだろうけど、試験最悪なくせになにいってんだよって感じだしなぁ、なんてイロイロ考えているうちに、語学学校にいくのがめんどくさくなってしまい、初日に顔を出したっきりで、翌日から語学のレッスンは止めてしまった。

 もともと、料理レッスンだけで申し込むより語学とセットの方が授業料が安いという理由で語学もつけたので、通わなくてもいいかなという気は最初からあったのだけども。しかし、学校をサボって、街をブラブラするなんて一体何年ぶりだろう。大学の講義を休むのは別にドキドキしなかったら、このちょっと「私って今日、不良かも!」という気持ちは高校生以来。あれから10年経っちゃって、しかも場所はイタリアだけど、やっぱ学校サボるのってドキドキする★
 そんな妙な高揚感でナポリの町を1人でそぞろ歩きをする。マリーサ家にいるときは必ず誰かと一緒に外出するのがほとんどだったので、1人でナポリを散策するのはとっても新鮮だった。
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 車にひかれないように道路を命からがらで渡り終えたと思ったら、ひょこっとでてきた原チャにかすりそうになる。安全な歩道にたどり着いたと思えば、よぼよぼのじいさんに「チャオ、ベッラ(よお、べっぴんさん。)」とウィンクをされる。海はきれいで、空気は排ガスで汚い。
 こんなあべこべな素敵なものと汚いものがごちゃごちゃ同居するナポリにいられるのは私の人生の中ではほんの一瞬なんだと思った。これからイタリアに定住するわけではないのだから、今更語学を必死でやっても意味が無い、それならこのナポリを味わいつくそうと決めた。

そんなわけで「なんで学校いかないの?」と聞かれることが多々あったのだけど、そういうときは遠い目をして「イタリア語を勉強したいと思ったら日本でも勉強できるけど、日本でナポリの海を見たいと思ってもそれはかなわないのだから、だれも私を学校に行かないこと責めることはできないのよ」といってやるのだった。
たいがいのナポリ人は「manaの言うとおりだね」といって認めてくれたものだった。

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というわけで、ナポリで一番美味しいピッツェリアの「ミケーレ」で40分待ちをしてから絶品ピッツァを味わったり、ナポリ名物の揚げ物(ライスコロッケや、揚げピッツァ、揚げグラタンetc・・・)をほおばりながら。洗濯物がはためく下町を散策したり、毎日毎日ナポリをしっかり楽しんだ。
 ナポリで一番高級なカフェ「ガンブリヌス」でカッフェ・ノチョラータ(ヘーゼルナッツチョコ入りのエスプレッソ)を引っ掛けてから夕暮れのライトアップされた街をうろうろしたり。

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 ナポリとは歩けば歩くほど深みにはまる街で、最初はサイフをすられやしないか、ひやひやドキドキして歩いた街も、3週間もいるとすっかりなじみの景色になっていくのがうれしかった。
 
 
 
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by buonaforchetta | 2006-11-16 23:49 | 2006年イタリア滞在記

イタリア料理留学記6 マリーサのレッスン

 
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ナポリで始まったガチンコ生活。美味しいお魚のランチを食べて一休みしたら、夕方からはケータリングのお手伝いが待っていた。なんでも、翌日に30人分のランチのケータリングをこなさなければならないらしい。その、ケータリングのメニューに私が前もってリクエストしておいたナポリ料理の最高峰「サルトゥ・ディ・リーゾ」が盛り込まれているというのでガゼンやる気が出てくる。この料理は具を5種類ほどつめたリゾットで作るケーキといえばわかりやすいかな、とりあえず、ふつうにしていたらまず、作らない料理。手間もヒマもお金もかかる料理なので、このケータリングが無かったら作ってもらえなかったかもしれないのでラッキーだった。

 前日から仕込みをはじめて、翌日も朝から大忙し。なのに、マリーサにはひっきりなしに電話がかかってくるので(しかも長電話)、単純作業系は私がひとりでだいぶこなしたと思う。じゃがいもの皮むき2キロ分とか。ケータリング用のサルトゥのほかに、私用の小さいサルトゥもつくって、それから30人分のパスタ料理に、ナポリ風の揚げ物をフライヤーで延々1時間以上揚げ続け・・・・。(このマリーサ秘伝の揚げ衣がほんとにウマイ!)

 おかげで、ケータリングは好評のうちに終わり、お客さんにも「ブラバ!(すごいぞ)」と誉めてもらった。一息ついて、マリーサ家のリビングでくつろいでいると玄関の呼び鈴が鳴った。私がでると、近所のバールのお兄ちゃんがカッフェの出前を持ってきている。「頼んでないよ」というと
「○○さんからです。お代はいりません」とのこと。ケータリングのお礼に、依頼主がおいしいカッフェを届けてくれたのだった。憎いことするじゃないの!!この気のきいた取り計らいに私はすっかり御満悦だった。

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 嵐のようなケータリングは滞在中、1回だけだったので、あとはのんびりレッスン。時には3時間かけて魚屋に買い物に出かけたりする。ここですごいなとおもうのが、マリーサの目利き。ナポリに山ほどある魚屋をそれぞれ使い分けていて、一目見てどれがウマイか見分けて買い物をする。魚を数種類買うにしても1軒で済ませることはしないで、数軒をはしごして買い物していくのだ。「おいしくないものなんて食べたくないじゃない。お金かかるけど」というのがマリーサの口ぐせだった。一度は、カジキマグロのオーブン焼きを作るのに買い物に出かけたことがあったが、魚屋がカジキマグロを薄く切れないというのを理由に買い物をやめてしまったことがあった。「もっとウデのいい魚屋で切ってもらって作りましょう」といって、そのメニューは延期になってしまった。後日、とってもうすくきってくれる魚屋に出会えたので私はその料理を口にすることができたのだけれど、ほんと、こういうことの一つ一つにこだわりが見え隠れしていて、マリーサってすごいなあと思う。

 彼女は日本人向けのイタリア料理学校のナポリ料理の担当でこの道のベテラン先生なので、その先生に一日中「料理教えて~!」とくっついて回れたのはほんとに幸せだった。
「ナポリの料理教室付きホームステイ」を申し込んだ時点では、まさか、そのステイ先がこのマリーサだとは思わなかったので、分かった時はそれはそれはうれしくて仕方なかった。

 先ほどから魚料理ばかり誉めていたけど、他の肉・パスタなんかも断然美味しかった。肉料理はパンチが効いていたし、野菜でつくるパスタは優しい味がして、それぞれメリハリがあってまず、食べることにおいては絶対裏切られることは無かった。マリーサの家でのステイが終わってからも、ナポリに残留していた私は、晩ごはんを狙って時たま遊びにいったりして、ちょこちょことマリーサにレシピを聞き出したりしていた。
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 マリーサの豪華料理をねらうならなんといっても日曜日。近所に住む、マリーサの長女のアマリア夫婦が訪ねてくるから、ウデによりをかけてお料理するのだ。午前中は魚屋に買出しにいって、たっぷりのランチを作る。水牛のモッツァレラチーズで有名なガゼルタ直送のでっかいモッツァレラが出てきたり、愛する家族が集うお食事はなんともリッチ。ちょうど、アマリアのお誕生日の時期に日曜日があたったので、ある日はお誕生日パーティーを開いた。
「アウグーリー、アー、テー♪アウグーリー、アー、テー♪タンテ・アウグーリ・ア・アマリア♪アウグーリー、アーーー、テーーーー」とハッピー・バースーデー・トゥー・ユーの曲にあわせてみんなで大合唱。しかもエンドレス(^^;)ケーキのろうそく全部溶けちゃうよ~というまで、えんえん歌ったり写真をとったりそれはもうにぎやか!!ぜひ、イタリアで誕生日を迎えてみたいものだと思ってしまう。しかしながら、カロリーが気になるのは古今東西どこもいっしょ。やっとのことでローソクをけしたケーキはバターと砂糖が少なめのフルーツタルトでした(^^;)

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 マリーサの私の評価は「よく働く」だった。お料理が知りたいばかりに常にキッチンに張り込み、あれやこれやとお手伝いをしていたので当然だった。それに、レッスン中かかってくる電話のためにマリーサがキッチン不在になったときには、ひとりで延々と手打ちパスタを生産しつづけていたりと、そりゃあよく働きました。マリーサの長電話中に私が1人で仕上げた生パスタ、どうよ。やっとこ電話が終わってもどってきたマリーサは決まって大絶賛。「あなたってなんて素敵な子なの!こんなよく働く日本人はじめてよ!」
 お調子者のナポレターノにのせられるのはかなりおてのものになってしまった。しかし、一番嬉しかったのは「manaは太陽みたいに元気で明るくて、ほんとにナポリの女みたいね!」といわれたことだった。ナポリ人にとって太陽は一番といっていいほど大事なもの。その太陽みたい、と言われるのは最上級の誉め言葉だと私は受け取っているのだけど。たしかに、ナポリはイタリアのどの街よりも、私が一番素直で自然にいられる場所だなと思う。私、ナポリあっているわ。

 それから、マリーサはほんとに私のお母さんのように、なれないイタリアで結婚式をする私のためにいろいろ気を使ってくれた。このお話はまた、結婚式の記事に書こうとおもうのだけど、マリーサがいてくれたから私のナポリ生活も楽しく充実したものになり、結婚式も思い出深いものになったんだと思って感謝している。

 そそっかしくて、ナポリ人にも一目置かれるちょっとクレイジーで心優しいナポリのシニョーラ。「夏は暑くて料理したくないから、それ以外にまたいらっしゃいよ。」としゃあしゃあと言ってしまうマリーサに再訪の約束をした。
 トニーノにマリーサ、イタリアにまた会いたい人がいっぱい出来てしまって、次回の私のイタリア滞在はきゅうきゅうになっちゃうな、と今から心配してしまう自分がおかしくて笑ってしまった。

 
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by buonaforchetta | 2006-11-16 01:20 | 2006年イタリア滞在記

イタリア料理留学記5 ナポリの洗礼

プーリアのまぶしい太陽と、温かい人たちのぬくもりを離れて私が向かったのはナポリ。ずっと来たくて来たくて仕方がない土地だった。前回のイタリア料理留学の際にはナポリの近くの街、ソレントに滞在しながらの南イタリア料理を習得したのだったが、今度こそ、ナポリでナポリ料理を学びたいと真剣に考えていた。
 しかしながら、悪名高きナポリ。本格潜入は初めてなので、ナポリ中央駅に降り立ったときは正直全身ガチガチだった。
 最初のステイ先のマリーサの家まではタクシーで行くことにしていたのだけど、まず、タクシーに明るく、フレンドリーにボラれた。タクシー乗り場から正規のタクシーに乗り込もうとしたら、脇からやってきたちょっと小さめのタクシーに「こっちのほうが早いからこっちに乗んな!」とあれよあれよと言う間にスーツケースを詰め込まれてしまった。必死で値段確認をしたところ、まあ、だまされても惜しくない額だったので諦めてこのタクシーを使うことにした。運チャンは「ナポリに何しに来たんだい!?顔が緊張でこわばっているじゃないか!」と親しげに話しかけてくる。何って、アンタに不信感なんだよ・・・とはいえず、「ナポリのタクシーはぼると聞いていたので・・。」とボソッと答える。運チャンはしたり顔で残念そうにうなずきながら「でも、そんなヤツばかりじゃないから。ここはいい街だぜ。」とのたまう。ナポリ弁バリバリの聞き取りづらいイタリア語で運チャンのマリオといろいろ話をしているうちに私の緊張は解けてきた。どうやら、怪しい路地裏で下ろされて金品を巻き上げられることはないようだ。マリオは「それじゃあ、オレがお前のナポリで第一号の友達だ。困ったことがあったらオレを呼べ。」といって彼のタクシーの名刺をくれて、目的のマリーサ家の前まで送り届けてくれた。こんな風に気持ちよく分かれたが、後で知ったのだが、駅からマリーサの家までのタクシー代はやっぱりこんなにかからなかった。5~10ユーロほど高かったんだけど、まあ、ナポリの洗礼を受けたと思って、そしてなにより、うまく私を気持ちよくだましてくれたマリオへの高いチップだと思って、このことはすぐにいい思い出として処理することにした。イタリアにいたらこれくらいの気持ちじゃないといられない。

 そんなこととはつゆ知らず、マリーサの住むマンションの入り口にたつと、すかさず1人のオバアチャンシニョーラが大声で叫びながらよってきた。マリーサは知る人ぞ知る有名人なので、私も、このシニョーラがマリーサだと一発で分かった。
「あなたね、まってたのよぉ。昼からさっそくレッスンしましょ。魚料理にするつもりだから、今から魚屋にいくのよ。近くの魚屋にいくんだけど、そこがけっこういいのよ。アナタももちろんいくでしょ?じゃあ、荷物いったん置いてすぐ行きましょ。あら、名前はナンだっけ?イタリアには何日いるの?今日はナポリの天気はわるいのよぉ・・・・・(以下省略)」
とのべつまくなく話しかけてくる。私は相槌をうつすきも無い。寡黙で温厚なトニーノに慣れてしまったわたしはここでもさっそくナポリの洗礼を受けた気がした。ようしゃべります、ナポリ人は。

f0023069_0564191.jpg荷物を置いて、魚屋に向かう途中でもマリーサの質問攻撃&おしゃべりは止まらない。たまに話に熱が入りすぎて道路の真ん中で立ち止まり、私にいろいろきいてくる。話を聞いてくれるのはうれしいんだけど、車にビーッビーと鳴らされるのはたまらなかった。とりあえず、初対面なので生粋のナポレターノに「車にひかれたら大変だから、道の端によけましょう。」とはいえず、死にませんようにと祈るしかなかった。(翌日からは私も言いたい放題だったけど)
 やっとの思いでついた魚屋や八百屋でたっぷりと買い込みをする。細い路地に生鮮食品が所狭しと売られていて、人もわんさか。下町エネルギーっていうんでしょうか、雑多な感じの生命力を強くかんじて、プーリア平和ぼけは完全にすっ飛んでしまった。


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 そんな魚屋でゲットしてつくったナポリ料理第一号。ナポリっ子が大好きなメッザ・ジータというパスタに絡めたお魚ちゃん。ぎゅっと味が凝縮されてて、すごくウマイ!ナポリに来たーってまたまた思わせてくれる料理。
 外はパトカーがサイレン鳴らして走って、ごみ処理場のストライキのせいで街中ゴミ袋があふれかえっているけど、私は絶対、この街が好きに違いないとこの一皿で確信してしまった。 

ナポリのゴミの山みたい?
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by buonaforchetta | 2006-11-15 00:58 | 2006年イタリア滞在記

イタリア料理留学記4 オレキエッテもいろいろ

 トニーノ家を離れて私が向かったのはプーリア州の州都のバーリ。港町のこの町はいまや世界遺産に登録されているマテーラへのアクセスも便利、ということでここをしばらくの滞在先にきめたのでした。
 初日はマテーラまで足をのばして、ひとしきり観光。マテーラに向かう電車の中で1人「世界の車窓から」のごとき写真を取りまくっていると、乗り合わせた車掌が、「そんなに写真とりたいなら運転席にきな!」といってスペシャルな特等席に案内してくれる。日本でこれやったら、アナタ、即、クビですよ(^^;)そしてその日の運転手は、終点のマテーラまで私をのせってってくれると勤務明けということで彼の自家用車でマテーラ案内をしてくれるのだった。プーリアの人はここでも温かい。
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 そんなこんなで楽しんだ翌日は、バーリ市内をうろつくことに。
 私御愛用の地球の歩き方、によると「バーリの旧市街はカメラやバックを不用意にさらすようなことは慎みたい。」とある。まあ、そんなのイタリアなら当たり前なんだけど、わざわざトップページに書くものだから当然私もびびる。
 イタリアの街、と言うのは昔ながらの風情というか、歴史的建物が多く存在する地区は、数百年前と同じ姿でのこし(旧市街)、その周りに近代的な住宅地やショッピング街(新市街)をつくるというような二重の構造で成り立っている街が多い。たいがい言われているのは、旧市街は取り残された人々(=貧しい人々)がおおいので治安が悪いということだった。特に南イタリアの街ではそれが顕著であるという。

 新市街の現代的な建物群をぬけて、通りを一本挟むと急にタイムスリップしたかのような古い迷路のような入り組んだ路地の旧市街に迷い込むことになる。ナポリ人もビビるとうこのバーリの旧市街。最初は気が気ではなく、怪しいやつはいないかときょろきょろするばかりだった。(そこまでして観光しなくても・・・・)
f0023069_0163846.jpg しかしながら、そんなに怪しいやつというのはいないもで、浜辺でつりをするおっちゃんや、ごつい魚市場のオヤジ、外国行きの客船をまつ港の人々の賑わいはやはり私のこころをなごませてくれるものばかりだった。
 昼時になってきて、お腹もすいていると誘惑には勝てず、美味しいレストランを求めて、少しずつ旧市街の細道を奥へ奥へ進む私。なんとかリストランテにすべりこみ、愛想は悪いが味はいい店でまたまたプーリアのごちそうに舌鼓をうつ。赤ワインも当然すすむ。店自慢の手打ちパスタを平らげた頃には程よくよって気も大きくなる。

 「旧市街、ちょっとさんぽしちゃおっか?」「うん!」と自問自答して、あてもなく細い路地をすすむ。アドリア海に注ぐ午後の太陽の日差しは強烈で、怖いという旧市街もそれほどでもなく映る。すると、道の奥でこんな人々発見。
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 どうやら手打ちパスタをつくっているよう。最初はこそこそ陰からのぞいていたが、思い切って声をかけてみる。「見ていい?」というと彼女たちは「もちろん!」と答える。
これはプーリア名物のオレキエッテをつくっているよう。しかしながら、手元は目にも見えずスピードで生地の巨大なカタマリをみるみるうちにちいさな愛らしいパスタへと変身させていく。これがうわさのバーリ風オレキエッテか。

 この勇気のある日本人は「私にもやらせて」と願い出る。必須アイテムのナイフと席をそのうちのひとりが譲ってくれて、さっそくチャレンジ。みよう見真似でつくってみるができない。
トニーノ宅でオレッキエッテをならったばかりでけっこうイイ線でつくっていたし、料理教室でも自信満々にオレッキエッテのレッスンをした私としてはなんとも面目がたたない。
このバーリ風オレッキエッテというのは、とっても小さくて、いままで教わった耳たぶが厚めオレッキエッテとは少々違う。小さい分、指にのせてくぼみをつくるのが難しいので、ちょっと生地を寄せて仕上げにふくらみをもたせるのが特徴のよう。

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「お手本をみせて!」とお願いするも「こうよ!」といって3倍早送りでオレッキエッテを作る彼女らの手元はゼンゼン見えない。いちおう、彼女なりにスローモーションでやっているようなんだけど。見えないっす(^^;)
そんなため私の作ったオレッキエッテ50%は厳しいマンマによってはじかれてしまうのだった。
同じプーリアでつくるオレッキエッテでもカタチも何もほんとにさまざま。一口にこの料理、知ってますっていえないなぁ、とイタリア料理の懐の深さを垣間見てしまう瞬間だった。

ちなみにこの大量のオレッキエッテ、毎日2キロ分のセモリナ粉を成型するそう。それも、地元のリストランテにおろしているとか。へたっぴいな日本人がつくった、オレッキエッテがバーリのどこかのレストランで食されるかと思うと小気味いい気分だった。

労働(!?)を終えると美味しい入れたてのカッフェを御馳走になってしばし、ドンナたちとのおしゃべりに、高い壁が日差しをさえぎる涼しい路地で、私もまぜてもらうのだった。いきなり表れた謎の東洋人をパスタ作り(しかも売り物)に混ぜてくれて、カッフェまで淹れてくれるなんて、やっぱりじんわかとこの土地の人の温かみを感じる。
 そこへかわいい男の子!パスタ名人オバチャンの孫だとか。フェラーリのおもちゃ車にのり、トッティのユニホームに身を包む、5歳児ながらなかなかイケメン★ふう、君がほんとに20代半ばで、トッティのようなスーパープレイヤーでフェラーリ乗り回していたら、私、ほんとにくっついいっちゃうのになあ、と心の中でふと思ってしまった。あと20年は私待てないわよ。
 しかし、最高のプレゼント。だっこさせてもらった生後9ヶ月のマテオ(将来のトッティの弟)がおばあちゃんに「このシニョリーナ(お嬢さん)、にバーチョしてあげなさい。」といわれて、私がホッペを突き出したものの、なんとまあ、このマテオちゃんたら、私の口にチュウするもんだから。25歳年下の男の子だけど、やっぱりちょっとドキドキしちゃいます(笑)。えなりくんごめんねぇ、ちがう男の子とキスしちゃったよ。
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(手前がトッティ予備軍クン、後ろのクリクリヘアのオムツちゃんがマテオ♡)

 バーリの旧市街の路地裏でまたまた素敵な思い出ができてしまった。きっと今日も彼女たちは道端にテーブルをだして、おしゃべりしながらオレッキエッテをつくってるのだろう。また、バーリにくることがあれば、ひょこっと顔をだして、今度こそは足手まといにならないよう、お手伝いさせてもらいたいな、なんて思う。
                                        (2006.10.3)
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by buonaforchetta | 2006-11-13 23:02 | 2006年イタリア滞在記